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東京高等裁判所 平成10年(行ケ)122号 判決

金沢市示野町ホ100-2

原告

千田晃

訴訟代理人弁理士

網野誠

網野友康

初瀬俊哉

三浦邦夫

東京都大田区下丸子3丁目30番2号

被告

キャノン株式会社

代表者代表取締役

御手洗 冨士夫

訴訟代理人弁理士

岸田正行

新部興治

水野勝文

小花弘路

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が平成6年審判第13785号事件について平成10年3月6日にした審決を取り消す。」との判決

2  被告

請求棄却の判決

第2  事案の概要

1  特許庁における手続の経緯

被告は、登録第2159287号商標(昭和62年1月6日商標登録出願、平成1年8月31日に設定登録。本件商標)の商標権者である。本件商標は、「KANON」の欧文字を書して成り、第31類「調味料、香辛料、食用油脂、乳製品」を指定商品とする。原告は、平成6年8月10日、「本件商標の登録は、その指定商品中『しょうゆ、食酢、ウースターソース、ケチャップ、マヨネーズソース、ドレッシング、酢の素、ホワイトソース、そばつゆ、焼肉のたれ、食用油脂、乳製品』について、これを無効とする。」との審決を求め、平成6年審判13785号事件として審理されたが、平成10年3月6日「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は平成10年4月1日原告に送達された。

2  審決の理由の要点

2-1 原告(請求人)の審判における主張立証

本件商標の構成、指定商品等は1記載のとおりであり、原告は、登録無効の理由として、登録第1546389号商標(引用商標)を引用する。引用商標は、「観音」の漢字を書して成り、昭和54年10月11目に登録出願、第31類「しょうゆ、食酢、ウースターソース、ケチャップ、マヨネーズソース、ドレッシング、酢の素、ホワイトソース、そばつゆ、焼肉のたれ、食用油脂、乳製品」を指定商品として、昭和57年10月27日に登録されたものである。原告は、審判において次のように述べ、証拠方法として、審判甲第1号証の1ないし同第5号証(枝番号を含む。)を提出した。

(1)  原告は、第31類「調味料、香辛料、食用油脂、乳製品」を指定商品とする平成3年商標登録出願第71796号(商公平5-92690号)の出願をしており、その出願について本件商標を引用した商標登録異議申立てを受けているので、審判請求の利益を有する(審判甲第2号証。本訴甲第5号証)。

(2)  本件商標及び引用商標の構成、指定商品は、それぞれ前記のとおりであるから、本件商標からは「カノン」及び「カンオン」の称呼が生じ、引用商標からは、「カンノン」の称呼が生じる。

両商標の称呼中、「カンオン」と「カンノン」の称呼が類似することは、上記異議申立事件において、被告が証拠として提出した別件事件の拒絶査定の謄本(審判甲第5号証)からみても明らかである。両者の指定商品も互いに抵触するものである。

したがって、本件商標は、その登録時に商標法4条1項11号に該当していたにもかかわらず登録されたので、前記指定商品について無効とされるべきである。

(3)  答弁に対する弁駁

現在時点で商標権が解消しているからといって、過去の違法状態が無条件には看過されない。古い判例であるが、商標の登録当時に先登録商標が存在していればその先登録商標の権利が消滅しても商標法2条1項9号(現行法4条1項11号)に該当すると判断されている(審判甲第3号証)。その後この判例を覆す判決もなく、この判決は現在でも妥当する。

2-2 被告(被請求人)の審判における主張

(1)  審判甲第1号証の2(本訴甲第3号証)に徴するに、引用商標は平成4年10月27日に存続期間が満了し、平成6年1月6日には抹消登録も完了しているから、本件商標との関係において出所混同を生じる可能性は皆無である。

商品の出所混同防止を第一の目的としている商標法にあっては、出所混同のおそれが全く存しなくなった場合にまで当該登録を無効とする必要性はないから、このような消滅した商標を引用して無効の主張をすることは合理性を欠き許されない。

(2)  本件商標から生ずる「カンオン」と引用商標から生ずる「カンノン」とを対比考察するに、第一に、両称呼は共に4音と短い構成より成ること、第二に、両称呼は2音節に発音されることから、第3音は明確に発音され、かつ、聴取者の印象に残る音であること、第三に、相違音「オ」と「ノ」は、調音方法を明確に異にすることから、第3音における1音の差異は、両称呼全体に及ぼす影響は決して少なからざるものがあることが明らかであり、この差異により両称呼はその語調語感を著しく異にし、聴取者において相紛れるおそれは皆無である。

加えて、本件商標は造語であるのに対し、引用商標からはだれでも容易に観音様、観音像等を明確に想起するから、このような観念上の差異が自然に称呼の点にも影響を及ぼし、結局、本件商標から生ずる「カンオン」と、引用商標から生ずる「カンノン」とは第3音における差異により、明確に聴別され、両称呼が相紛れるおそれは皆無である。

したがって、本件商標と引用商標とは称呼においても非類似のものであるから、本件商標が、商標法4条1項11号の規定に違反して登録されたとする原告の主張は失当である。

2-3 審決の判断(便宜(1)等の項目番号を付した。)

(1)  本件商標と引用商標の構成は、いずれも前記のとおりであるところ、本件商標は欧文字から成るのに対し、引用商標は漢字から成るから、両商標は、外観上明らかな差異を有する。

(2)  両者の観念についてみるに、本件商標は、特定の観念を有しない造語より成るのに対し、引用商標は、菩薩の一つ「観世音」を表し、「観音様、観音像」等を表すものとして世人一般に極めて親しまれて認識されているから、両者は、その観念についても互いに紛れる要素は全く存しない。

(3)  原告が互いに類似すると主張している本件商標から生ずる「カンオン」の称呼と引用商標から生ずる「カンノン」の称呼の類否についてみるに、両称呼は、その第3音目において「オ」と「ノ」の音に差異を有するにすぎないが、「オ」の音は声帯の振動によって発せられた音が口の中のどこにもさえぎられないで発声されるのに対し、「ノ」の音は鼻腔の共鳴を伴う通鼻音であって、その調音方法を異にすることにより、「オ」の音は明確な開放音として聴取されるのに対して、「ノ」の音は柔らかな音として聴取され、その聴感を異にするから、この差異は、共に4音という比較的短い音構成から成る両称呼全体に及ぼす影響は決して少なくなく、両商標の観念上の明らかな差異をも勘案すれば、両者は、称呼の点においても充分区別し得る差異を有する。

また、本件商標から生ずる「カノン」の称呼と引用商標から生ずる「カンノン」の称呼とが類似しないものであることは明らかである。

してみれば、本件商標と引用商標とは、その外観、称呼、観念のいずれの点よりみても、相紛れるおそれのない非類似の商標である。

(4)  なお、被告は、既に消滅した商標を引用して商標法4条1項11号の無効を主張することは許されない旨述べているが、商標法46条1項の規定に照らしてみれば、被告のこの点についての主張を直ちに採用することはできない。

(5)  したがって、本件商標の登録は商標法4条1項1号に違反してされたものであるとはいえないから、同法46条1項の規定によって、その登録を無効とすることはできない。

第3  本訴における主張

1  原告主張の審決の取消事由

1-1 審決摘示の双方の審判における主張は認める。審決の判断のうち(1)、(2)、(4)は認め、(3)、(5)は争う。

1-2 審決は、本件商標の称呼「カンオン」と引用商標の称呼「カンノン」とは十分区別し得ると判断したが、誤りである。

(1)  審決は、本件商標と引用商標とから生じる各称呼を、第3音の語感の差異にのみ偏重して勘案し、実際に取引の場で称呼される一連の称呼全体を検討していない。本件商標を一連に称呼した場合には、「カンオン」の第3音「オ」の前の音である第2音が母音を帯同しない子音であるため、子音「ン」が続く母音「オ」と合して別個の音である「ノ」として発音されやすく、聴者をして「ノ」として聴別されやすい。したがって、「カンオン」の称呼と「カンノン」の称呼とは、両者を一連に称呼した場合には、全体として相紛らわしい。

このように発音の便宜のために音が変化する現象は、国語学的にも一般的に認められている。国語史上では「連声」(れんじょう)と呼ばれており、広辞苑(甲第11号証)や漢和大辞典(甲第12号証)でも説明されている。

(2)  相違音「オ」と「ノ」とはその聴感を異にするとの審決の判断は、経験則に反し、審決例にも反する。

審決は、「「オ」の音は声帯の振動によって発せられた音が口の中のどこにもさえぎられないで発声されるのに対し、「ノ」の音は鼻腔の共鳴を伴う通鼻音であって、その調音方法を異にすることにより、「オ」の音は明確な開放音として聴取されるのに対して、「ノ」の音は柔らかな音として聴取され(る)」と判断している。しかしながら、異なる音が異なる調音方法により調音され、聴感が異なるのは当然のことであり、その差異の程度が全体の称呼にどの程度影響を与えるかが問題である。

すなわち、「オ」と「ノ」とは、それぞれの母音[o]をを共通にするとともに、「ノ」は発音上聴者に与える影響が弱い通鼻音[n]との綴音となっており、「オ」と「ノ」とは近似する音である。したがって、「カンオン」と「カンノン」を一連に称呼した場合には、相違音が全体の称呼に与える影響はさほど大きくなく、その語感語調が極めて近似したものとして聴取される。

「オ」と「ノ」との一音相違が問題となった過去の審決では、次のように、例外なく相互に類似するものとされている(甲第14ないし第20号証)。

ノアノール=ノアオール

ビンカオール=ビンカノール

マテノン=マテオン

オリオン=オリノン

ヤングオート=ヤングノート

ブレビノル=ブレビオル

2  取消事由に対する被告の認否

2-1 本件商標から生じる「カンオン」と引用商標から生じる「カンノン」の称呼は区別し得るとした審決の判断に誤りはない。

2-2 審決は、第3音目の「オ」と「ノ」の音は、「調音方法を異にすることにより、「オ」の音は明確な開放音として聴取されるのに対して、「ノ」の音は柔らかな音として聴取され、その聴感を異にするから、この差異は、共に4音という比較的短い音構成から成る両称呼全体に及ぼす影響は決して少なくない」旨説示しており、第3音目の「オ」と「ノ」の差異が両商標の全体称呼に影響すると判断している。

審決は一連の称呼全体として検討していないとする原告の主張は当たらない。

第4  当裁判所の判断

1  本件商標と引用商標とが、外観上明らかな差異を有し、観念についても互いに紛れる要素は全く存しないとした審決の判断部分については、原告も認めているところである。

2  原告は、本件商標の称呼「カンオン」と引用商標の称呼「カンオン」とは十分区別し得ると判断した審決の判断を争う。

本件商標「KANON」からは、「カンオン」と「カノン」の二つの称呼が生じるが、後者の「カノン」と引用商標から生じる称呼「カンノン」とが類似しないことは審決の認定するとおりである。

そこで、本件商標の前者の称呼「カンオン」と引用商標の称呼「カンノン」との類否を検討するに、まず、審決が認定したとおり、両称呼は、その第3音目において「オ」と「ノ」の音に差異を有するにすぎない。そして、「オ」の音は声帯の振動によって発せられた音が口の中のどこにもさえぎられないで発声されるのに対し、「ノ」の音は鼻腔の共鳴を伴う通鼻音であって、その調音方法を異にするから、「オ」の音は明確な開放音として聴取されるのに対して、「ノ」の音は柔らかな音として聴取され、その聴感を異にする場合のあることは十分に認められる。他方において、原告が主張するように、一般に「オ」と「ノ」とは発音上近似する場合もあり得るけれども、本件商標についてみれば、欧文字を書して成るものであり、その綴り「KANON」からみると、本件商標の称呼は上記のような発声により「カノン」又は「カンオン」に限定されるのであって、引用商標の称呼である「カンノン」と相紛らわしい発音がされることはほとんどないものと認められる。

前記のように、両商標は外観、観念において十分区別し得ることも合わせ考えると、原告が指摘する審決例を斟酌してみても、両商標が称呼において類似するものと認めることはできない。

したがって、原告の取消事由は理由がない。

3  よって、原告の本訴請求は理由がないので、これを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(平成10年10月20日口頭弁論終結)

(裁判長裁判官 永井紀昭 裁判官 塩月秀平 裁判官 市川正巳)

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